<まま呼息の発見> 管楽器演奏の呼吸に関する考察 (1)〜(11)
管楽器の呼吸法に関する論文、提案、質疑応答
第一集:
まま呼息の発見(管楽器演奏の呼吸に関する考察)
1)一般に指導されている腹式呼吸、2)管楽器奏者が実
際に行なっている腹式呼吸、3)メイナード・ファーガ
ソンの呼吸法、4)本来のヨーガ完全呼吸、5)チェスト
アップ という5種類の呼吸法を比較し、相違点と共通
点を分析した論文と質疑応答。
第1回 呼吸法は必要か
第2回 腹式呼吸には種類がある
第3回 完全呼吸法とは
第4回 チェストアップ
第5回 5種類の呼吸法の比較
第6回 ふたたび問う - 呼吸法は必要か
第7回 三たび問う - 呼吸法は必要か
第8回 アンブシュアについて
第9回 自然と我流
第10回 チェストアップでふくまま
第11回 能の呼吸法
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
第1回 2002.2.28
<呼吸法指導の混乱>
管楽器奏法において呼吸が重要なことはいうまでもあり
ません。けれども、世の中にはいろんな意見があって、
互いに矛盾するようなメソッドも存在します。
たとえば、一般には腹式呼吸がよいとされていますが、
クラウド・ゴードンの教則本には延々と腹式呼吸批判が
展開されている。某音楽雑誌でも「腹式呼吸法の嘘」と
いう刺激的な特集が組まれたことがあります。
相矛盾するメソッドは、一方が正しくて他方が間違って
いるのか。あるいはその矛盾は表面的なものであって、
本質的には共通するものなのか。
<呼吸法トレーニングの経歴>
私は、個人的な興味から、古今東西の呼吸法に関する文
献を集め、この10年ほど学習・実践してきました。それ
らの呼吸法は、武道・武術、舞踊、気功、ヨーガから、
スポーツ、各種芸道、健康法、美容法、願望実現のため
のものまで多種多様です。
また、きちんとした指導者のもとでトレーニングを積む
ために、西野流呼吸法の道場へ5年間通いました。これ
らの呼吸法学習から、管楽器奏者の呼吸はどうあるべき
かを考え直してみたわけです。
<呼吸法は必要か>
ある音楽雑誌で、トランペット奏者A氏とトロンボーン
奏者B氏とが、呼吸法についてこんな対談をしておられ
ました(いずれも日本のクラシック系奏者)。
A氏 「呼吸法について僕は基本的に何も考えません。
吹きやすかったらええやないかと、人間、生ま
れた時から息してますからね」
B氏 「あっ、それ、僕の呼吸法の公開講座用の説明文
と同じ(笑)。だれでもオギャーと生まれてか
らずっと休まず続けてきたことなので、必要以
上にむずかしく考える必要はありません、と」
この対談は誤解を招くかもしれません。「慣れている動
作」イコール「上手にできる動作」という錯覚を導くお
それがありそうです。
また、ここで明らかにしたいのは、B氏が「必要以上に」
というときの「必要」の中身です。私たちは、呼吸に何
をどの程度まで求めているのでしょうか。
<呼吸のさまざまな顔>
そもそも呼吸とはどういう現象なのでしょう。鼻にとっ
ての呼吸は空気の出入り。肺にとっての呼吸は酸素と二
酸化炭素のガス交換。細胞にとっての呼吸は栄養分と老
廃物の交換(新陳代謝)。ミトコンドリアにとっての呼
吸はエネルギー変換という意味を持ちます。
呼吸を整えることで、自律神経に対して働きかけること
ができ、呼吸の仕方を工夫することで内臓をマッサージ
できる。呼吸の変動にともなって、血液はその圧・流れ・
物質特性が変化します。このように、呼吸はどの次元で
見るかによって、さまざまな顔を持つのです。
先の対談で話題にされているのは、おもに空気の出入り
についてだけでしょう。つまり、「いかにたくさんの空
気を吸うか」そして「それをどうのように使うか」。こ
の二点について「必要」を満たせば、あとは考えなくて
もよい、という意味のようです。
<人体は空気ポンプ以上のもの>
フランスにジャック・マイヨールという素潜りの達人が
いました。ブラジルにヒクソン・グレイシーという生涯
無敗の格闘家がいます。アメリカには、アンドリュー・
ワイルという自然療法で著名な医師がいますし、「メン
タルタフネス」で広く知られるジム・レーヤーというス
ポーツ心理学者もいます。
これらの人物には、ひとつの共通点があります。それは、
みなヨーガの呼吸法を深く研究し、実践し、心身をコン
トロールしようと試みている点です。そして彼らは、呼
吸を単なる空気の出し入れとは考えていないことでも共
通しています。
ヨーガには少なく見積もっても数十種類、数え方によっ
ては数千種の呼吸法が存在します。また、東洋では古く
から、神道・修験道・密教・禅などの宗教行法、日本武
道・中国武術などの格闘技、書道・華道・茶道など各種
の芸道、気功・舞踊・水泳・民謡、さらには養生法・能
力開発法にいたるまで、ありとあらゆる分野で、呼吸法
を重要視してきました。
これらは、はたして空気の出入りだけを対象としたもの
でしょうか。答えは、あきらかに否です。しかるに、な
ぜ管楽器奏者は、呼吸をただの空気の出し入れとしてし
か認識しないのでしょうか。
<まずはメソッドの比較から>
呼吸法の「空気の出し入れを越える部分」については、
後にあらためて触れるとして、まずは以下の5つの呼吸
法を観察し、その相違点と共通点を整理することから始
めましょう。
1.一般に指導されている腹式呼吸
2.管楽器奏者が実際に行なっている腹式呼吸
3.メイナード・ファーガソンの呼吸法
4.本来のヨーガ完全呼吸
5.チェストアップ
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
第2回 2002.3.1
<一般に指導されている腹式呼吸>
まず、基本中の基本とされる腹式呼吸について考えてみ
ましょう。ふつうはこんなふうに習うことが多いようで
す。すなわち、呼吸には胸式と腹式があって、前者は浅
く後者は深い。腹式呼吸とは吸う時に腹がふくれて吐く
ときに腹がへこむ呼吸である、と。
さて、「腹」とはどこでしょう。「さあ、自分の腹をさ
わってください」といわれると、最近は、みぞおちの下、
つまり胃のあたり(上腹部)をさわる人が多いとか。
でも、腹式呼吸でいう「腹」とは、そこではなくて、ヘ
ソより下の部分(下腹部)をさすことが多いのです。武
道や気功では、このあたりを「丹田(たんでん)」と呼
んで、非常に重視します。
<管楽器奏者が実際に行なっている腹式呼吸>
吸息で下腹部がふくらみ呼息でへこむ、という腹式呼吸
はもちろん存在します。けれども、吸息でふくらみ呼息
でも下腹部がふくらんだまま、という呼吸も可能です。
前者を「ふくへこ(「ふく」らみ「へこ」む)」、後者
を「ふくふく」と呼ぶことにすると、実際の管楽器演奏
においては、「ふくふく」の腹式呼吸法を使っている人
も相当数いると考えられます。両方を無意識に使い分け
ている奏者もおられるでしょう。
ふつう腹式呼吸といえば「ふくへこ」を教えられるにも
かかわらず、演奏の現場では「ふくふく」になる場合が
少なくないわけです。
ドイツ系のオーケストラ奏者には、「わき腹を張る」と
か「ベルトを押すような感じ」で息(呼気)を支えるよ
う指導する人が多いそうですが、これなど「ふくふく」
を意識的に勧めている具体例といえるでしょう。
ちなみに武道では「ふくふく」を丹田呼吸と呼んで(流
派により呼び名は異なりますが)、集中的に練習すると
いいます。
<コントロールセンターとしての腹>
人体胸部の空間(胸腔)は、肋骨がまわりを囲んでいる
ため、構造上しっかりしています。けれども腹部の空間
(腹腔)には腸などの内臓があるだけで、ぐにゃぐにゃ
です。構造的に柔らかく、弱く、空気が抜けたタイヤの
ような感じです。
そこで、このタイヤへ空気をパンパンに入れて、構造を
安定させようというのが、腹式呼吸のひとつの目的だと
考えられます。実際には腹に空気が入るわけではないの
で、横隔膜を下降させることによって、腹腔内部に圧力
を加える。そして十分な「腹圧」が確保されると、体幹
部つまり胴体は力学的に安定した構造となります。その
安定した体で行なう運動(ここでは演奏)は、質の高い
ものになるというわけです。
つまり、腹式呼吸は、たくさん吸ってたくさん吐くだけ
のものではなくて、もっとトータルに運動を制御するた
めの、コントロールセンターとしての「腹(腹腔)」を
作るメソッドであるといえるのです。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
第3回 2002.3.4
<メイナード・ファーガソンの呼吸法>
第1ステップ:
小さく吸う。腹は少しふくらむ。リラックスして。
第2ステップ:
大きく吸う。腹は水平に内側へへこむ。
第3ステップ:
腹はへこませたまま、大きく吸い、肩を真上に上げる。
第4ステップ:
腹筋をアイソメトリック(註1)に締める。くさびを
腹の奥に打ち込みロックするつもりで。
第5ステップ:
肩をリラックスさせて、演奏する時の位置まで降ろす。
第6ステップ:
舌先に乗せた米粒を吹き飛ばすように吐く。
これがボビー・シュー(註2)の教える「ヨーガ完全呼
吸 Yoga Complete Breath」です。ボビーはこの呼吸法
を、メイナード・ファーガソン(註3)から習ったそう
です。メイナードは、インドでヨーガ行者から完全呼吸
を学び、それを管楽器演奏用にアレンジしたとか。
この呼吸法の第4ステップでは、へこませた腹を「アイ
ソメトリックに」ロックする。つまり表面的な動きはな
いけれども、ギュッと固定するということです。
「この呼吸法を、1日に60回ずつ練習し、最低でも21日
間(3週間)続けること。はじめは6つのステップに分け
て、鏡で動きを確認しながら練習する。だんだんステッ
プ間のすき間をなくし、なめらかな一連の動きとする。
最初のうちはゆっくりと行ない、徐々にスピードを上げ
ていく」と、ボビーは指導します。
<本来のヨーガ完全呼吸>
本来のヨーガでいう「完全呼吸」とは、
(1)腹部
(2)胸部
(3)肩甲部
の3つの部分を全部使ってする呼吸のこと。名前は「完
全呼吸」と大げさですが、ヨーガの呼吸法の中では基本
的なものです。もっとも、基本的というのは一番易しい
ということではなくて、一番最初に練習するべきという
意味ではありますが。
ヨーガ完全呼吸のやり方は以下の通り(成瀬雅春著「呼
吸法の極意」を参考にしました)。
1.ゆっくりと息を吐いていき自然に腹部がへこむ。その
ままさらに腹をへこませながら吐いていく。
2.吐き終わったら瞬間的に腹の力を緩め、ゆっくりと息
を吸っていき、腹がふくらむ。
3.そのままさらに胸を前に突き出す感じで胸郭を広げな
がら吸い込んでいく。
4.胸郭が広がったら、続けて肩を上げながらもう少し吸
い込む。
5.吸い込み終わったら自然に2〜3秒止める。
6.腹をへこませながら息を吐いていく。
7.胸を元に戻しながら吐き、続けて肩を下げながら吐く。
8.腹、胸、肩が普通の状態に戻ったら、1.につなげて繰
り返す。
<腹部の動きの違いに注目する>
ファーガソン呼吸を腹部の動きに着目して表現すると、
「ふく・へこ・へこーへこ」となります(前三段は吸息
で後段が呼息。止息時の状態は省略)。第1ステップ以
外は、ほとんど腹をへこませた状態をキープするのが特
徴です。
これに対して本来のヨーガ完全呼吸は、「ふく・ふく・
ふくーへこ」である(前三段が吸息で後段が呼息。止息
時は省略)。吸息の間じゅう、ずっと腹はふくらんだ状
態で、呼息にともなって次第にへこんでいきます。
これが何を意味するかは、あとでまとめて分析するとし
て、次回はクラウド・ゴードンの「チェストアップ」に
ついて観察しましょう。
つづく。
(註1)アイソメトリックス(isometrics)
静的筋力トレーニングのこと。動かないものを動かそ
うとする抵抗運動を一定時間持続させ、それを繰り返
すことで筋力を発達させる。腕ずもう、綱ひきなども
その一種。特殊な道具を用いずにどこでもだれにでも
簡単にできる。
(註2)ボビー・シュー(Bobby Shew)
トシコ・タバキン・ビッグバンドやバディ・リッチ楽
団で活躍した名トランペット奏者。
【ボビー・シューのブレスパワー動画】
Bobby Shew Breath Power
【Bobby Shew teaches Wedge Breathing for brass players】
(註3)メイナード・ファーガソン(Maynard Ferguson)
「ロッキーのテーマ」「バードランド」などで有名な
スター・トランペット奏者。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
第4回 2002.3.5
<クラウド・ゴードンのチェストアップ>
「BRASS PLAYING IS NO HARDER THAN DEEP BREATHING
(金管演奏なんて深呼吸みたいなもの)」という教則本
で、著者クラウド・ゴードンは、腹式呼吸(または横隔
膜呼吸)を厳しく批判し、その代わりに「チェストアッ
プ」という方法を薦めています。ゴードンのロジックは
以下の通りです。
1.空気は肺に入るのであって、腹に入るのではない。
2.横隔膜は不随意筋であり、自らの意志でコントロール
することはできない。
3.アコーディオンの蛇腹を閉じるように、肺を圧縮する
ことによってのみ「wind power(呼気の圧力)」は得
られる。
4.肺自体は筋肉ではないが、そのまわり、特に背中側に
は筋肉があり、これが肺を圧縮する。
5.この筋肉そのものを意識的に動かすことは難しいが、
よい姿勢で「チェストアップ」を保てば、自動的に肺
を圧縮する動きが生まれる。なぜならそれが自然だか
らだ。
6.両手を斜め下に垂らし、手のひらを前に向け、両腕と
肩を後ろに反らす。同時に息を吸い、肺(腹ではない)
に空気を満たす。肩は後ろに反らす(バック)のであっ
て、上げる(アップ)のではない。しかし、このとき
胸(チェスト)は上がっている(アップ)。
7.チェストアップしたまま、息を吐く。チェストアップ
のまま、また息を吸う。チェストアップのまま、息を
吐く。
8.10呼吸で1セットとし1日に5回は行なう。つねにチェ
ストアップの状態を保つこと。
つまり吸うときも吐くときも、常に「チェストアップ」
をキープしなさいということです。それは演奏中も同じ
で、とにかく「チェストアップ」で呼吸を続ければ、肺
の回りの筋肉が自然に鍛練されて、wind power が得ら
れるようになるという教えです。
例によって、腹部の状態に着目してこれを表記してみる
と、「へこーへこ」となります。息を吸うときも吐くと
きも、腹は「へこ」んだ状態になっているからです。
<腹部の状態と動きの記述>
さて、これで本論で扱う5つの呼吸法をすべて観察した
ことになります。それらを整理すると、
A.一般に指導されている腹式呼吸:
「ふくーへこ」
B.管楽器奏者が実際に行なっている腹式呼吸:
「ふくーふく」
C.メイナード・ファーガソンの呼吸:
「ふく・へこ・へこーへこ」
D.本来のヨーガ完全呼吸:
「ふく・ふく・ふくーへこ」
E.チェストアップ:
「へこーへこ」
となります。
これは腹部の「状態」だけを記述したものです。ここに
腹部の「動き」をあわせて表現すると、興味深い事実が
見えてきます。
A.一般に指導されている腹式呼吸:
「ふくつつーへこつつ」
腹を「ふく」らませ「つつ」吸息し、
腹を「へこ」ませ「つつ」 呼息する。
B.管楽器奏者が実際に行なっている腹式呼吸:
「ふくつつーふくまま」
腹を「ふく」らませ「つつ」吸息し、
腹を「ふく」らませた「まま」呼息する。
C.メイナード・ファーガソンの呼吸:
「ふくつつ・へこせて・へこままーへこまま」
腹を「ふく」らませ「つつ」吸息し、
腹を「へこ」ま「せて」胸へ吸息し、
腹を「へこ」ませた「まま」肩へ吸息し、
腹を「へこ」ませた「まま」呼息する。
D.本来のヨーガ完全呼吸:
「ふくつつ・ふくまま・ふくままーへこつつ」
腹を「ふく」らませ「つつ」吸息し、
腹を「ふく」らませた「まま」胸へ吸息し、
腹を「ふく」らませた「まま」肩へ吸息し、
腹を「へこ」ませ「つつ」呼息する。
E.チェストアップ:
「へこままーへこまま」
腹を「へこ」ませた「まま」吸息し、
腹を「へこ」ま せた「まま」呼息する。
次回は5種類の呼吸法を分析し、相違点と共通点を明ら
かにします。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
第5回 2002.3.6
<5種類の呼吸法の比較>
A.一般に指導されている腹式呼吸:
「ふくつつーへこつつ」
B.管楽器奏者が実際に行なっている腹式呼吸:
「ふくつつーふくまま」
C.メイナード・ファーガソンの呼吸:
「ふくつつ・へこせて・へこままーへこまま」
D.本来のヨーガ完全呼吸:
「ふくつつ・ふくまま・ふくままーへこつつ」
E.チェストアップ:
「へこままーへこまま」
これらの呼吸法を、呼息時(つまり演奏時)の腹部の動
きに着目して比較しましょう。
「A.一般に指導されている腹式呼吸」と「D.本来のヨー
ガ完全呼吸」は、いずれも呼息時に「へこつつ」となっ
ています。つまり腹をへこませ「つつ」息を吐きます。
「C.メイナード・ファーガソンの呼吸」と「E.チェスト
アップ」は、いずれも呼息時に「へこまま」となってい
ます。つまり腹をへこませた「まま」息を吐く。
このように分類してみると、意外にも「A.一般の腹式呼
吸」と「D.本来の完全呼吸」が似ていることに気付きま
す。「A.」の吸い方に工夫を加えると「D.」になるわけ
です。
さらに意外なことに、メイナードやボビーが「完全呼吸」
と呼んでいる「C.ファーガソン呼吸」は、「D.本来の完
全呼吸」とあまり似ておらず、むしろ「E.チェストアッ
プ」のバリエーションであることが分かります。「E.」
の吸い方に工夫を加えたものが「C.」なのです。
<呼気の制御>
管楽器奏者が呼吸法というトレーニングによって達成し
たい課題は、自由自在な「呼気(吐く息)の制御」だと
考えられます。いかに表情豊かな呼気を、自らのコント
ロール下で作り出すか。呼吸法とは、このきわめて微妙
で複雑なテクニックを養成するための練習、と位置付け
ることができます。
実際、フォルティシモ・ピアニシモ・クレシェンド・デ
クレシェンド・高音・低音・鋭い音・柔かい音など、さ
まざまな音色・音量・その変化を、管楽器奏者は呼気の
調整で作り分けます。
したがって「呼気制御の精度を高めること」は、ホーン
プレイヤーにとって上達の中心課題であるはずです。
ちなみに、多くの人が関心を集めるアンブシュアの問題
は、これを「呼気制御における最終段階の調整」と位置
付けるならば、奏法全体においてはむしろ小さなテーマ
ということができるでしょう。
<まま呼息の発見>
呼気制御の大前提となるのは「体幹部の安定」です。腹
部を動かしつつ息を吐く「つつ呼息」は、ちょうど馬上
からの射撃のようなもので、制御が難しくなる。
そこでゴードンはチェストアップのキープを説き、ファ
ーガソンは腹部をアイソメトリックにロックすることを
求めたのだと思われます。いずれの呼吸も「まま呼息」、
つまり腹をへこませた「まま」息を吐く方法です。
ところで、A.〜E.の中にもうひとつ「まま呼息」の呼吸
法があります。それは「B.管楽器奏者が実際に行なって
いる腹式呼吸」です。「まま」は「まま」でも、「へこ
まま」ではなくて「ふくまま」ですが。
「わき腹を張る」「ベルトを押すような感じ」で呼気を
支える「ふくまま呼息」は、「内から外へ」圧力をかけ
ることによって腹部を安定する方法です。一方、ファー
ガソンやゴードンの奨励する「へこまま呼息」では、腹
部の安定を「外から内へ」の圧力で作ろうとします。
「ふく」か「へこ」かの違いはあるものの、いずれの手
法も「まま呼息」によって演奏時に体幹部の安定を確保
している点では共通しています。
<安定と固定>
ここで留意したいのは、「安定」は容易に「固定」を生
むということです。無目的なロングトーンや、やみくも
な腹筋練習が上達のマイナスとなりうるのは、安定では
なくて「固定」を促進するからだと考えられます。
「安定」とは固めてしまうことではなく、十分にバラン
スをとるということです。固めることなく安定を獲得す
るためには、「脱力」の専門的トレーニングが必要とな
りますが、本論のテーマから離れますので、今回は触れ
ません。
<問題は「胸式か腹式か」ではない>
クラウド・ゴードンは、問題を「腹式 vs 胸式(=チェ
ストアップ)」という構造で捉えようとしましたが、こ
との本質はそこにではなくて、「つつ呼息 vs まま呼息」
にあるのではないでしょうか。腹で呼吸することが悪い
のではなくて、腹をへこませ「つつ」息を吐くことが、
管楽器奏法には適していないのだと思われます。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
第6回 2002.3.7
<呼吸が肉体と精神に及ぼす影響>
本論では、呼息時つまり演奏時の腹部の動きに着目する
ことで、さまざまな呼吸メソッドの共通点をあぶり出し
てみました。一般の教則本よりは緻密な分析を試みたつ
もりですが、これとて表面的な観察にすぎません。呼吸
には、空気の出し入れを越えた、もっと微妙で内面的な
作用があるからです。
たとえば、腹式呼吸を熱心に繰り返すことで胃腸をマッ
サージすることができます。人間の腹部は鬱血しやすい
ため、この部分の血行をよくすることで、全身の血の巡
りがよくなります。
また、深い呼吸で多くの酸素を取り入れると血中の酸素
が増え、酸・アルカリ比率も変化します。血液成分が変
われば全身の細胞状態にも影響が及びます。特に、脳の
ように酸素を大量に消費する臓器は、この影響が大きい。
さらに、呼吸ペースを変化させることで、心臓など不随
意器官に働きかけることができる。すぐれたヨーガ行者
が心拍数を意識的に変化させるのは、「呼吸ー自律神経
ー心臓」というルートでコントロールしているのだと考
えられます。
このように、「意識的な呼吸」の影響は、循環器系・消
化器系から神経系・免疫系にまで及びます。くわえて、
呼吸は肉体だけでなく精神状態をも左右します。ちょっ
とした深呼吸でさえ気持ちを落ち着かせることを、我々
は経験的に知っています。さらなる体系的・集中的なト
レーニングを積めば、呼吸によって意識状態を操作する
可能性が開けます。
<認識力を磨くトレーニング>
天才画家とアマチュア画家の絵を描くテクニックには、
それほど大きな差があるわけではないといいます。両者
を決定的に分けているのは「ものを見る能力」だとか。
天才とアマチュアでは、同じものを見ていても、目に写
る風景がまったく違うということでしょう。
音楽の場合も同じかもしれません。演奏家は、正確な音
程とリズム・美しい音色・速いパッセージ・広い音域な
どを得るために多くの労力を費やします。これらはすべ
てアウトプットのトレーニングです。では、インプット
つまり認識能力を高める練習は、はたして体系化されて
いるのでしょうか。
五感(インプット能力)とは、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・
触覚の5つですが、たとえば触覚ひとつとっても、温冷
感・乾湿感・密疎感・柔硬感・痛感・圧感・重感・流
動感など、さまざまな感覚が含まれます。一説によると、
人間は17種類もの感覚を数えることができ、それらの大
半には名前が付いていないともいいます。
これらの感覚を正確に感じ分けられる人とそうでない人
とでは、日々の練習の質に違いが生じるでしょう。その
結果、アウトプットたる演奏の質にも違いは出るのは当
然です。
呼吸法は、これらの微妙な感覚差を識別するための「認
識力」を磨くトレーニングでもあると東洋の文献は教え
ています。
<東洋的鍛練法に学ぶ>
意拳(中国武術の一種)は、格闘技でありながらすべて
の攻防の型を捨て去り、「立つだけ」のトレーニング
(立禅)を修行体系の中心に据えました。じっと立った
まま、ただひたすら呼吸法を繰り返す。技というアウト
プットよりも、感じる能力つまりインプットを重視した
究極の例だといえるでしょう。ちなみに、意拳創始者の
王向斎は中国武術史上最強と評される人物で、研究者に
よれば現代最強の格闘家ヒクソン・グレイシーを瞬時に
倒す能力があったと考えられています。
宗教行法である坐禅や、岡田式静坐法という養生法にお
いても、ただただじっと坐って呼吸を行ずることが鍛練
の中心課題となっています。これらも「認識力」を磨く
ためのトレーニングと考えることができます。つまり、
呼吸法は単なる「効率よい空気の出し入れ」の技術をは
るかに越えて、全人的な能力を高めるメソッドたりうる、
と推論できるわけです。
<ふたたび問うー呼吸法は必要か>
本論第1回で引用した対談のように「呼吸法について僕
は基本的に何も考えません」というのと、どこまでも緻
密に観察を重ねて呼吸法を精練してゆくのとでは、演奏
家・芸術家として、その肉体的コンディション、精神的
安定性、そしてなにより大切な認識能力に大きな開きが
生まれると考えられます。
呼吸法の向こう側に広がる繊細かつ巨大な世界は、「吹
きやすかったらええやないか」という次元の議論では決
して語れないのです。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
質疑応答編
第7回 2002.3.8
<三たび問うー呼吸法は必要か>
管楽器奏者の呼吸法については、本当にいろんな考え方
があります。今回の論文をきっかけに、多くの演奏者・
指導者と意見交換する中で、ある方(C氏としましょう)
からこんな見方をご紹介いただきました。
(C氏のメールより)
楽器の演奏に呼吸法の練習や知識は必要か?
初心者には必要。中級者以上もそれに起因する問題
点(息が足りなくなる、音質、鳴りが悪い)が出た
ときのチェックポイントとしては重要。問題がない
状態の時には考える必要がない。常に考えるべきこ
とは他にたくさんあるので、呼吸法に非常に重点を
置く指導にはあまり賛成できない。また、自分には
充分と思われる範囲で体得できれば、それ以上「極
める」必要もない。
私は、C氏とまったく異なる見解を持っています。
C氏: 問題がない状態の時には(呼吸法について)考
える必要がない。
黒坂:いかなるときでも呼吸法を管楽器上達の最重要
課題と認識することが有効である。
C氏: 常に考えるべきことは他にたくさんあるので、
呼吸法に非常に重点を置く指導は賛成できない。
黒坂:たくさんある「考えるべきこと」のそれぞれを
呼吸法と関連付けてトレーニングすべきである。
管楽器は呼気においてのみ音がなるのだから。
C氏: 自分に充分と思われる範囲で体得できれば、そ
れ以上「極める」必要もない。
黒坂:どこまでも緻密に観察を重ねて呼吸法を精練し
てゆくべし。それは芸術家としての全人的な成
長につながりうる。
<対症療法と自然治癒力>
C氏と私の意見が異なるのは、方法論の違いというより、
むしろ視点の相違から来るものだと思われます。西洋医
学と東洋医学における身体観の違いと似ているかもしれ
ません。
西洋医学の病気治療は「対症療法」が主といわれます。
痛みがあればその痛みを取り除き、熱が出れば熱を下げ
る。症状を緩和することに主目的があるわけです。
一方、東洋医学(アーユルヴェーダや中医学)は、症状
そのものよりも、それを生み出した原因の除去を主眼と
しているようです。したがって、病気を直すのではなく
て、身体全体の健康レベルを上げることで、自然治癒力
を引き出そうというアプローチを取ります。
C氏のように、呼吸法を「問題点が出たときのチェック
ポイント」として利用するのは、西洋医学的対症療法に
近いでしょう。C氏から見れば「呼吸法に非常に重点を
置く指導」は、「病気でもないのに薬を飲み続ける」の
に近い印象かもかもしれません。
私の提唱する「すべての練習の中心に呼気制御を」とい
う方法は、いってみれば予防医学というか体質改善とい
うか、どちらかといえば東洋的なアプローチだと思いま
す。習得に時間はかかるかもしれないけれど、演奏家そ
れ自体を徐々に変えていこうとする修練方法です。
<上達とはなにか>
※参考文献「運動科学研究所編:スポーツ・
武道のやさしい上達科学 恵雅堂出版」
運動科学の中に「構造運動学」という分野があります。
これは、ひらたくいえば、運動と運動の関係を解き明か
す学問です。「上達」という観点から見た場合、運動間
に存在する関係は以下のように表すことができます。
A:完成化
1.馴成化:慣れる、再現性が高くなる、固定化する。
2.精巧化:威力を増す、円滑になる、制御できる。
B: 発展化
1.統合化:XしてからYする、XしながらYする、など。
2.応用化:Xを応用してYする、など。
C氏に代表される多くの管楽器奏者にとって、呼吸法は
数あるトレーニング・メニューのひとつとしかとらえら
れていません。
他方、私のやり方は、楽器上達における「馴成化」「精
巧化」「統合化」「応用化」のすべてに呼吸法を利用し
ようとするもの。
つまり「考えるべきことは他にたくさんある」のは認め
つつ、それらを根底から支えるための道具として、呼吸
法を徹底活用しようと提言しているのです。
また、C氏によれば「問題がない状態の時には(呼吸法
について)考える必要がない」とのことですが、呼吸法
が認識力を高めるトレーニングたりうることを思えば、
「問題がない状態」かどうかをより高いレベルから判定
する能力の開発に、呼吸法は役立つといえるでしょう。
結局、演奏者・指導者が、「上達」をどの次元で考える
かによって、呼吸法の役割に対する認識は変わってくる、
ということのようです。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
質疑応答編
第8回 2002.3.11
<Q: アンブシュアについて>
「アンブシュアはむしろ小さな問題((考察第5回)」
とされていますが、世の管楽器奏者は、アンブシュアに
ついて悩んでいる人が多いのでは?
高校時代の吹奏楽部の顧問の指導法はただひとつ、「腹
から音を出せ」の一辺倒。当時からなにか違和感を感じ
ていたが、大学に入ってからは「まず正しいアンブシュ
アありき」という思いを強くした。
一流の管楽器奏者は、楽器を始めた当初から正しいアン
ブシュアを身につけることのできた人たちだと思う。
逆に、元来レベルの低い奏者が、呼吸法を身につけたら
演奏が見違えるようによくなった、というケースはほと
んど知らない。
ファーガソンなどが呼吸法マスターの効用を説く場合は、
「もともとすごかった人が超すごくなった」ということ。
呼吸法は重要なテーマではあるけれども、少なくともア
ンブシュアに先んじるポイントではないのではないか。
木管楽器ではリードにあたる唇の正しい振動なくして音
色・柔軟性・音域等に良い結果は出ないのだから。
<A: 黒坂なりの見解>
(アンブシュアが)奏法全体においては小さなテーマと
いう私の主張は、いわゆる呼吸法(狭義の呼吸法)とア
ンブシュアを比較したのではなくて、「呼気制御(広義
の呼吸法)」とアンブシュアを比較したものです。
したがって、アンブシュアは、呼気制御という大項目の
下に位置する小項目のひとつにすぎない、ということが
言いたかったのです。狭義の呼吸法もアンブシュアも、
どちらも呼気制御の一部分です。
大項目:「呼気制御の精度を高める」
=広義の呼吸法
小項目1:リッピング(唇の制御)
いわゆる「アンブシュア」はリッピングの一部
と考えられます。
小項目2:タンギング(舌の制御)
ここでいうタンギングとは、管楽器奏者が通常
使う「タンギング」よりも広い概念。
小項目3:スローティング(喉の制御)
ゴードンの言う「Kタンギング」を含む、喉の
開閉技法です。
小項目4:ランギング(肺の制御)
いわゆる狭義の呼吸法です。
小項目5:アブドメニング(腹部の制御)
横隔膜、腹横筋、腸腰筋などのトレーニング。
小項目6:アシング(臀部の制御)
会陰(えいん)部分のトレーニングです。ヨー
ガではムーラバンダといい、非常に重要な練習。
これらの小項目群は、すべて「呼気制御の精度向上」と
いう大目的を達成するためのものです。
呼吸法は呼吸法、アンブシュアはアンブシュア、タンギ
ングはタンギングとバラバラに練習するのではなく、そ
れらを相互に関連づけるために、トレーニング全体の構
造をいったん整理してみたわけです。
「正しいアンブシュアを身につけることのできた人たち
だけが呼吸法についてコメントしている」というのは、
誤りだと私は思います。彼らはアンブシュアがよかった
から成功したのではなくて、アンブシュアの練習を奏法
全体の構造の中で正しく位置付けることができたから成
功したのでしょう。
「元来レベルの低い奏者が、呼吸法を身につけたら演奏
が見違えるようによくなった」というのは、あり得ない
ことだと私も思います。「呼気制御の精度向上」という
目的を理解しないで、ただ呼吸法を練習しても、砂漠に
水を撒くようなものだからです。大切なのは呼吸法を練
習することではなくて、全体の構造の中に、呼吸法を正
しく位置付けることです。
今回の考察の目的は、個々のメソッドの善し悪しを論ず
ることではありませんし、呼吸法万能論を説くことでも
ありません。
そうではなくて、個々のメソッドの背後に隠れた本質部
分に目を向けることで「まま呼息」という共通要素を認
識する。そして「まま呼息」は「呼気制御の自在性」を
確保することを目的とするものであり、その前提となる
のは「体幹部の安定」であるという、トレーニング体系
の全体像を描き出すこと、それが目的なのです。
たとえば「腹筋練習」と「アンブシュア」は、独立した
因子ではないということを考えたことがあるでしょうか。
「腹筋は腹筋で鍛えてパワーをつけて、アンブシュアは
アンブシュアで練習して」という練習方法は、無自覚に
ではありますが、両者に相関関係がないことを前提にし
ています。
けれども、実際には、人間の体の各部分は関連している
のです。分かりやすく極端な表現をするならば、「腹筋
練習をやることでアンブシュアが悪くなる可能性(あく
までも可能性ですが)がある」ということです。
だからこそ、個々の練習を「関連付けて」行なう必要が
あるのです。全体の構造が見えていないと、この「関連
付け」ができません。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
質疑応答編
第9回 2002.3.12
<Q: 自然と我流>
ラフではあるが、自然の状態で妥当な呼吸をする素質を、
多くの人が持っているのではないか。したがって「吹き
やすかったらええやないか」にも一理あるのでは?
<A: 黒坂なりの見解>
「自然」と「我流」の違いについて考えましょう。
「吹きやすかったらええやないか」という発言に対して、
私は「誤解を招くかもしれない」とコメントしました。
発言者の真意は「自然に呼吸すればええやないか」なの
でしょうが、実際には「我流に呼吸すればええやないか」
となってしまうからです。
そして、ほとんどの場合、「我流」はきわめて「不自然」
なのです。この話は奥が深いので、ここではあまり深入
りしませんが、脱力法の話とからめて、いずれ本格的に
考察することにしましょう。
<Q: 間違ったエクササイズと正しいエクササイズ>
どうすれば正しいエクササイズを選べるようになるのか。
<A: 黒坂なりの見解>
エクササイズそのものに「正しい」「間違っている」と
いう差はないというのが私の考えです。
腹式呼吸を「善」といったり「悪」と呼んだりするのも、
ロングトーンを神聖視する一派と毛虫のように嫌う一派
が対立するのも、不毛な議論だと考えています。エクサ
サイズ自体はニュートラルなものだと思うからです。大
切なのは、そのエクササイズを、全体の体系の中で「ど
う位置付けるか」ではないでしょうか。
「ヨーガ行者がなにかすれば、それはすべてヨーガにな
る」という言葉があります。坐ることも、息をすること
も、寝ることも、すべてがヨーガになる。これは、行者
がその行為をヨーガの修行であると「位置付けた」から
そうなるわけです。
王向斎がすべての型(=エクササイズ)を無用のものと
して廃し、立禅だけで強くなる修行システムを開発しえ
たのも、究極的にはエクササイズそのものに善し悪しが
ないからでしょう。そこにあるのは、「位置付け」の正
しさだけだと思います。
<Q: フォームについて>
私は野球は巨人ファンで、とりわけ松井のファンです。
プロ野球ニュースなどを見ていると、松井の調子のいい
時と悪い時のバッティングフォームについての解説が映
像付きでなされています。解説者は「調子のいい時には
こうだが今スランプでこんな風」などと丁寧に解説して
くれるのですが、当の松井がそれが分かっているのか?
またそれを指摘されて直すことができるのか? そんな
疑問がわいてきます。
<黒坂なりの見解>
フォームを矯正しても松井の調子はよくならない、と言
うことができるでしょう。スポーツでフォームをうるさ
く言うのも、管楽器奏法でアンブシュアに注目するのも、
いずれも本質からはずれているというのが私の見解です。
なぜか。調子のいい時のフォームも、理想とされるアン
ブシュアも、外から見える「結果」にすぎません。その
「結果」を成立させている「原因」は、パフォーマーの
体内あるいは、意識内にあると考えられるからです。
「原因」を変えれば「結果」は変わる。しかし「結果」
の形だけ真似ようとしても、あまり効果はないと思いま
す。
あの人のアンブシュアが良いからあれを真似しようとい
うのは、数学の宿題で他人の答えだけを写して提出する
ようなものかもしれません。どうしてそういう答えにた
どりついたか、自分ではまったくわからない。「なにが
あのアンブシュアを成立させているか」という内面的な
「原因」の究明をするのが正しいアプローチではないで
しょうか。
イチローが、誰から何を言われようと、あの独特のフォ
ームを変えなかったのは、彼もまたフォームという「結
果」ではなくて、「原因」のトレーニングに取り組む認
識力を備えていたからだと思います。「認識力」が違え
ば日々の練習の質が違うというのは、このことです。
管楽器は口で音がなるのだからアンブシュアが一番大事
と考えがちですが、本当に大切なのは、奏法全体の中で
アンブシュアの果たす役割を小さくしてやることではな
いかと思います。尻、腹、胸、喉、舌の役割を増やすこ
とによって、相対的に唇の負担を減らす。
こういう制御努力の積み重ねという「原因」があって、
はじめてすばらしいアンブシュアという「結果」が得ら
れる、というのが私の考えです。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
質疑応答編
第10回 2002.3.13
さて、今日は、ある方からのレポートをご紹介します。
埼玉県与野東中学校ジャズバンド部で顧問をしておられ
る中山先生からのお便りです(一部要約)。
<中山先生からのメール>
私は一応、大学でトランペット(クラッシック)を専攻
し、今はご存じのように中学のジャズバンドのディレク
ターとして管楽器奏者も指導しており、教える立場もあ
るので、自分なりの理論を整理してきてはいます。ここ
数年、私は「如何に自然体で呼吸するか」を考えていま
すが、ここではそのことについて、私の考えを述べてみ
たいと思います。
考察を読みながら自分の呼吸法を観察してみると、私は
ゴードンのチェストアップに近いことを考え、実際に楽
器を吹くときにやっているようです。ただし私の場合は
チェストアップは常にキープしていますが、腹部は「ふ
くまま→ふくまま」で、
>>「わき腹を張る」とか「ベルトを押すような感じ」で
>> 息(呼気)を支える
という意識も持っています。管楽器を実際に演奏する場
合に、吸気から呼気は一連の動作とならなくてはなりま
せんが、演奏に使うのは呼気で、吸気はそのための準備
であるという違いがあります。
吸気:演奏に必要なエネルギーを体内に蓄えることを
目的とする。効率的に、多くの空気を取り入れ
ることが重要である。
呼気:演奏に必要なエネルギーをコントロールするこ
とで、楽器による表現をコントロールする。ス
ピード、量などの微妙なコントロールを効果的
に行なえることが重要である。
(実験1)まず、次のような実験をしてみて下さい。
1 普通に立ち、肺にある空気を静かに吐き出します。
2 すべて吐き出したと感じたら、「あ〜」と声を出し
ながらさらに吐き出してみます。
3 「あ〜」が声にならないくらいになっても絞り出し
ます。(この時、上半身が縮まり、肩、胸、みぞお
ちのあたりが力んでくるでしょう。さらに絞ってい
くと、頭も垂れ、顔は苦しい表情に。握り拳を強く
握るくらいにまでがんばってみましょう。)
4 もうこれ以上は何も出ない、となったら、そのまま
息を止め、心の中で10数えます。(苦しい。)
5 「‥‥8・9・10」はい、リラックスしてください。
(もちろん、息も吸っていいですよ)
最後にリラックスしたときに、「たくさん息を吸おう」
などと思わなくても自然と体に結構たくさんの空気が流
れ込んで来ると思います。(その時「チェストアップ」
になりませんか?)
(考察1)
実験の3、4のように体を縮め緊張させている状態では、
かりにそのまま息を吸っても多くの空気を取り込むこと
はできません。しかし、5で緊張を解いたときに、空気
は体の中に流れ込んできます。リラックスすることで、
自然と息は体に流れ込んで来ます。
(実験2)次の二つの姿勢で、深呼吸をし、観察します。
1 胸の前で腕をクロスし肩を抱え、頭を下げて、体は
折り曲げて小さくします。
2 ゴードンのいう「チェストアップ」の姿勢。
>>両手を斜め下に垂らし、手のひらを前に向け、両腕と
>>肩を後ろに反らす。
当然のことながら、より多くの空気を取り込めるのは2
の場合でしょう。
(考察2)
この時の体の状態の最大の違いは、肋骨の拡がり具合に
あります。肋骨は肋間筋と一緒になって蛇腹状になって
いて、拡げたり閉じたりすることができます。体内に空
気を取り入れると拡がり、出すと縮むのが自然です。
(結論)
上記2つの考察から、次の結論が導かれます。「吸気に
おいて、リラックスと肋骨を拡げることは重要である。」
(具体論)
それではリラックスすること、肋骨を拡げることのため
に、具体的にどのようにしたらよいか、です。
1 リラックスについて
A 強く吸う、たくさん吸う、すばやく吸う等の意識
を持たない。
B 姿勢(フォーム)を作る。→上半身のリラックス
のためには、下半身の安定が不可欠。
2 肋骨を拡げるについて
A 肩を後ろに少し反らす→肋骨の前の部分が拡がる
(ゴードンの言うように手のひらを前に向けることでよ
り効果的になる)
B 肘と体の間に拳1つほどの隙間を空ける→腕が肋
骨を押さえつけることを防ぐ(ゴードンの表現では「両
手を斜め下に垂らし」という部分)
<黒坂のコメント>
中山先生は、音楽の専門教育を受けられていること、経
験が豊富であること、現場での指導をしておられること
などから、非常に実践的でわかりやすいメソッドを披露
していただきました。さすがに実践家の理論は説得力が
あります。
つづく。
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<まま呼息の発見>
管楽器演奏の呼吸に関する考察
質疑応答編
第11回 2002.3.14
<能の呼吸法>
1999年11月20日(土)放映のNHK教育テレビ「ETV
カルチャースペシャル:能に秘められた人格」という
番組は、全編これ呼吸法という話で、ちょうど私の
「考察第6回」を別の角度からまとめたような内容で
した。
番組で、能楽師・梅若猶彦氏の呼吸と脳血流の変化を分
析していました。能の場合、悲しい場面を演じる時も、
能面をつけているため、顔で悲しみは表現できません。
全身で悲しみを表わすために、梅若氏は呼吸を変化させ、
脳内を本当に「悲しい」状態にしてしまいます。一方、
女優の樹木希林さんの悲しみ演技では、泣き顔になり、
涙はあふれ、嗚咽ももらしますが、脳内はいたって平然。
つまり本当には悲しくないわけです(希林さんの演技も
迫真ですごかったですよ)。
呼吸ひとつで精神をコントロールする梅若氏は、この17
年間、毎日、立禅を組んで丹田呼吸法を繰り返してきた
といいます。
立禅とは、あの王向斎が意拳の訓練体系の中心にすえた
「立つ」トレーニングです(考察第6回参照)。考察第2
回で「ふくふく」を丹田呼吸法と紹介しましたが、この
番組で登場した丹田呼吸は「ふくへこ」でした。
<教育現場に呼吸法>
非常に興味深かったのは、明治大学助教授・斎藤孝氏の
研究です。今、若者が「キレやすい」のは、呼吸が浅い
からだというのです。
脳にはセロトニンという物質を分泌する神経系があり、
この働きが弱いと、動物は攻撃的になるのだそうです。
そして、セロトニン神経系は、呼吸、歩行、咀嚼などの
リズム性の運動によって活性化するとか。呼吸が浅いと、
そのリズムが十分に伝わらず、セロトニンの分泌が減り、
攻撃性が増す。
ヨーガの呼吸法を実践している人を調べると、セロトニ
ン・レベルが高いそうです。深い呼吸は、人間の器を大
きくし、自分に都合の悪いことでも受け入れる度量を育
むとか。
埼玉県の大宮開成高校で、斎藤助教授は、呼吸法に関す
るある実験を行いました。生徒に簡単な計算問題を1分
間行わせ、丹田呼吸の前後で、成績を比較したのです。
この時の丹田呼吸は、へそ下をふくらませたりへこませ
たりする「ふくへこ」で、吸息3秒、止息2秒、呼息15秒
というリズムでした。生徒たちは1分間の計算を終えて、
丹田呼吸を2分間(6呼吸)行い、さらに1分間計算しま
した。
結果は、被験者全員が、呼吸前よりも呼吸後が成績アッ
プ。中には30個以上たくさんの計算ができた生徒もいま
した。生徒たちの感想も、「精神的に落ち着いた」「リ
ラックスした」「スッキリした」「集中できた」「体調
がよくなった」など、わずか2分間の丹田呼吸の威力を
痛感したものが多く見られました。斎藤助教授は、この
呼吸法の指導を、いくつかの学校で行なっているそうで
す。
<日本文化と呼吸>
番組のエンディングは、こんなナレーションで締めくく
られていました。
「日本人は、特定の宗教や思想をよりどころにすると
いうより、自己の体のあり方をとぎすますことを通
して、精神を磨いてきたのです・・・」
私が考察第1回で問いかけたのは、このことにほかなり
ません。
「なぜ管楽器奏者は、呼吸をただの空気の出し
入れとしてしか認識しないのでしょうか」
呼吸なくして語れない楽器を演奏しながら、管楽器奏者
はあまりにも呼吸法に対して無関心ではないか、と思う
わけです。
東洋、特に日本の文化は、ハラ(丹田)を中心とした高
度な身体運動に支えられてきたといいます。深くゆった
りとした腹式呼吸は、そのハイレベルな文化の入り口と
いえるのです。これからも、呼吸法の奥の深さを、でき
るだけご紹介していくつもりです。
(後日談)
斎藤助教授は、この番組がもとで2000年にNHKブック
スから「身体感覚を取り戻す」という本を出されまし
た。2001年5月、この本が第14回新潮学芸賞を受賞。
で、斎藤先生は、2001年下半期は「声に出して読みた
い日本語(草思社)」というベストセラーをお書きに
なりました。
<まま呼息の発見:管楽器演奏の呼吸に関する考察>は
これで終わりです。次回からは「ある呼吸法の提案(イ
ンナー・ウォームアップの方法)」をお届けします。
呼吸を変えれば音楽は変わる!
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