シリーズ:吹奏楽デモクラシー
シリーズ「吹奏楽デモクラシー」
【総集編】吹奏楽デモクラシー 八賢人との対談
14.日本吹奏楽のこれまで・これから: 対談 藤村女子中学高等学校吹奏楽部顧問・都賀城太郎
13.品性: 対談下巻 長谷川諒(音楽教育学博士)
12.感性: 対談上巻 長谷川諒(音楽教育学博士)
11.メンタルトレーニングの世界 後編:対談 大木美穂(メンタルトレーニング研究者・ピアニスト)
10.メンタルトレーニングの世界 前編:対談 大木美穂(メンタルトレーニング研究者・ピアニスト)
9.基礎合奏: 対談 秋田市立山王中学校吹奏楽部元顧問・木内恒(下巻)
8.挫折: 対談 秋田市立山王中学校吹奏楽部元顧問・木内恒(上巻)
7.学び舎: 対談 船橋市立船橋高校吹奏楽部顧問・高橋健一(下巻)
6.師弟: 対談 船橋市立船橋高校吹奏楽部顧問・高橋健一(上巻)
5.芽吹き: 対談 旭川商業高校吹奏楽部顧問・佐藤淳(下巻)
4.そこは雪国: 対談 旭川商業高校吹奏楽部顧問・佐藤淳(上巻)
3.もやもや: 対談 テューバ奏者・石川佳秀
2.生徒第一主義: 対談 吹奏楽指導者・山﨑朋生(下巻)
1.良き模範: 対談 吹奏楽指導者・山﨑朋生(上巻)
吹奏楽デモクラシー_八賢人との対談
バジル・クリッツァー (著)
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山﨑朋生 吹奏楽指導者
石川佳秀 テューバ奏者
佐藤淳 旭川商業高校吹奏楽部顧問
高橋健一 船橋市立船橋高校吹奏楽部顧問
木内恒 秋田市立山王中学校吹奏楽部元顧問
大木美穂 メンタルトレーニング研究者・ピアニスト
長谷川諒 音楽教育学博士
都賀城太郎 藤村女子中学高等学校吹奏楽部顧問
本書は、電子書籍シリーズ「吹奏楽デモクラシー」をまとめたものである。
電子書籍シリーズの「吹奏楽デモクラシー」は2020年コロナ禍の初期に制作に着手したもので、吹奏楽の分野に関係した指導者や演奏家との対談とエッセイにより構成されている。
このシリーズを「吹奏楽デモクラシー」と命名した理由については、シリーズ開始当初に書いたものがあり、それはp4からの前書きに掲載している。
それからシリーズ8作、二年の時を経て、このタイトルはわたしの価値観と少しズレていることを自覚するに至った。
わたしが吹奏楽、より正確に言えば日本の学校吹奏楽を中心とする音楽教育を受けた人々、いまも受けている人々、いまその教育を行う側の人々、更には吹奏楽に限らず音楽大学で学ぶ人々、音楽大学で教える人々に届けたいメッセージの核心は「デモクラシー=民主主義」ではなく『個人主義』にこそある。
チャーチルによる、よく知られた名言に
『民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。
他に試みられたあらゆる形態を除けば』
というものがある。
民主主義は政治形態であり、現状一番マシかもしれないもので、様々な欠陥があり、歴史の中で形を変えるものであろう。
そしてその民主主義が何においてマシなのかといえば、それはまさに個人を侵害する全体主義の抑止をするうえにおいて、ということだ。
尊重されなばならない事は、個人の自由・自主・自律・責任であり、警戒し排撃しなければいけないものがそれらを侵害する全体主義である。
民主主義という形態においても、個人の侵害と全体主義への傾斜は起こる。それを防いだり軌道修正を図るには、個人主義の価値観と哲学の啓蒙が必要である。
本書は、全体主義への批判の書である。学校吹奏楽や日本に対する批判ではなく、学校吹奏楽や日本の中にある全体主義への批判である。
その批判の方法は、音楽演奏とそのための練習における個人の自己実現の方法と軌跡、そして吹奏楽部指導を通じた吹奏楽部員の個人々々の自己実現の後押しの可能性を探ることに拠る。
全体主義のカタルシスに酔うてはならない。それは、教育者が生徒を精神的、知的に殺すことを美化している。
全体主義から受けた傷を、膿ませたまま放置してはならない。それはあなたを蝕み続ける。あなたはあなたの個人主義を取り戻さなければならない。
本書がそのきっかけとなることを祈る。
14.日本吹奏楽のこれまで・これから: 対談 藤村女子中学高等学校吹奏楽部顧問・都賀城太郎
バジル・クリッツァー (著), 都賀城太郎 (その他)
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今巻は、本『吹奏楽デモクラシー』シリーズの集大成ともいえるものである。
それはひとえに、現・藤村女子中学高校吹奏楽部顧問で、春日部共栄高校吹奏楽部顧問時代の実績で日本吹奏楽界においてよく知られている都賀城太郎先生と対談する幸運に恵まれた事に拠る。
都賀先生は、この吹奏楽デモクラシーにおいては日本吹奏楽界の欠点・問題点として指摘した事柄のまさにことごとく『逆』を実践して、それ故なのか・それにも関わらずなのかは解釈次第ではあるが、考えうる限り最高レベルの結果を出して来られた。
具体的には、
・長時間練習より効率のよい短時間練習
・何も考えずに盲目的に練習するより自ら考え試して練習
・勉強や学校生活を犠牲にして部活をするのではなく、勉強や学校生活をこそ優先しながら部活
・コンクールの勝敗より自発的で創造的な表現
・コンクールの勝敗よりリスナーの涵養
といったものだ。
そして、大学院で日本吹奏楽の歴史を学究的に研究して来られていること。根拠や証拠を以て日本吹奏楽界の問題点と今後の進むべき道を提示されている。
この研究成果についてはその要約を今巻に掲載することを寛大にもお許し頂いた。
更には、少子化やコロナ禍における吹奏楽部活動の避けられない変化の中で、吹奏楽部活動の魅力や醍醐味を一切損なわず、むしろ増大するであろう『創造アート』のフォーマットを導入され始めていること。
この話を伺ったとき、わたしは競技的で勝敗優劣にばかりフォーカスさせられていったわたし自身の中高時代のことを自覚し一抹の悲しみを感じた。しかしそれ以上に、吹奏楽部に入り、音楽をやりたかった・やっていた自分自身の気持ちに気づき肯定することができた想いである。
さあ、ページをめくろう!
13.品性: 対談下巻 長谷川諒(音楽教育学博士)
バジル・クリッツァー (著), 長谷川諒 (その他)
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今巻では、音楽教育学者・長谷川諒氏の考え方に沿って、いよいよ吹奏楽コンクールの問題点へと切り込んでゆく。
ここでは、吹奏楽コンクールに否定的な感情を抱く人々にとっては、その感情の起因となる構造が見事に言語化されているように思う。それは、否定的な感情を受け止めるものであるとともに、吹奏楽コンクールそのものへの憎悪へとつながってしまいやすいその感情をより適切に経過させてくれるものでもあると思う。
同時にこれは、吹奏楽コンクールに否定的な感情を持つ人々を内心見下したり、理解できずに否定している人々にとっては、吹奏楽コンクールがどのようにして人々を苦しめたり傷つけたりしていたかを判明させてくれるものだ。それを知ることで、否定的な感情を持つ人々への拒否感もずいぶん和らぐのでわないか。理解できるかもしれないのだから。
問題点の的確な指摘は、対立を対話や相互理解へと導きうるものだということを強く印象付けられた。
ぜひ一緒に考えていこうではないか。
12.感性: 対談上巻 長谷川諒(音楽教育学博士)
バジル・クリッツァー (著), 長谷川諒 (その他)
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今巻では、音楽教育学者の長谷川諒氏にお話を伺う。
長谷川氏に対談を打診したのは、氏のツイッター上での吹奏楽コンクールについての分析・指摘に大いに感銘を受けたからだ。
その指摘内容は、暴力的な指導者や抑圧的で強い同調圧力のある部活を学生時代に経験したことに根ざしていることが多い「コンクール完全否定派」にとっては、自身の苦しい経験とコンクールの存在そのもの間に理性的な線引きができるようになる助けになる可能性がある。
また、コンクールの問題点に関する指摘を一切認めないコンクール完全肯定派にとっても、その問題点に初めて気付く可能性があるようなものであった。
価値ある言論は、そのように、ある事柄に対する白黒の二分を思いとどませる力を持ちながらも、両論併記の玉虫色の中身のない言説ともまったく異なる、「一歩立ち止まり考え直す」ことを促すようなものだ。
長谷川氏の指摘はそのようなものだと思った。
上巻では吹奏楽コンクールの問題点に切り込む前に、音楽教育学、そして公教育における音楽教育の役割について詳しく伺う。
ここでも、吹奏楽コンクールの問題点に通じる、そもそもの音楽と文化、そして教育の関係が描き出されているので、ぜひご一読願いたい。
11.メンタルトレーニングの世界 後編:対談 大木美穂(メンタルトレーニング研究者・ピアニスト) 吹奏楽デモクラシー
バジル・クリッツァー (著), 大木美穂 (その他)
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今巻では前巻に続き、メンタルトレーニング研究者の大木美穂さんに話を伺う。
今巻においては、その研究の実際をお話頂くが、その様子はアカデミックの世界を知る者にとっては共感することが多く、アカデミックの世界を知らない者にとってはアカデミックな研究がどのようなものであるかを分かりやすく知ることができるだろう。
アカデミックな研究は、その研究成果が他者と共有され更に研究が蓄積発展されるようにできている。
そのため、
①何を明らかにしようとしているか
②それをどのような手法で明らかにしようとしているか
③何がわかったか、何がわからなかったかという結果
を明示できなければならない。それこそが研究者を悩ませる複雑さや煩雑さをもたらすのだが、そのおかけでより確からしい知識を我々は得ることができる。研究者たちの苦労は社会の知識と知恵を着実に増やし、その後の発展をどんどん効率化してくれるのだ。
このあたりは、同じく多大なる努力により練り上げられる価値あるものを生み出しはするが、個人的な特性や属性に最大限にカスタマイズされた職人技とは対照的だ。
メンタルトレーニングの『研究』は、つまりより多くのひとを普遍的に助けてくれるものなのだ。
その中身を、とくとご覧あれ。
10.メンタルトレーニングの世界 前編:対談 大木美穂(メンタルトレーニング研究者・ピアニスト) 吹奏楽デモクラシー
バジル・クリッツァー (著), 大木美穂 (その他)
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今巻は、メンタルトレーニングの専門家である大木美穂さんにお話をお伺いする。
日本の学校吹奏楽において、夏の吹奏楽コンクールや冬のアンサンブルコンテストなどの局面で奏者たる学生にかかっているプレッシャーは不健全なレベルのものであることが、ままある。これは吹奏楽という演奏形態が原因ではなく、日本の部活文化からもたらされている側面が強いと言えよう。高校野球にその文化はとくに色濃く現れている。
端的に言えば、学生の心身の健康を最優先せず、怪我、それも深刻な怪我や心身の不調の発生を本人の『弱さ』なるものに原因を求めようとし、大会運営者や部活動顧問、保護者など学生の心身の健康に第一義的に教育的責任を負う大人を甘やかすものだ。
この状況は継続的に随分と改善されてきているとはいえ、解消には程遠い。犠牲になってしまう学生はまだまだたくさん生まれてしまうだろう。
その中で、奏者が、あるいは良心のある指導者がコンクールやコンテストにチャレンジしながらも適切にプレッシャーを除去したり対処したりする方法が存在するとすれば、それは大変重要なものだ。
メンタルトレーニングの知見はその最たるものの一つであろう。大木氏との対談は二巻に亘るものとなる。ぜひとも参考にして頂き、そして役立つことがあれば幸甚である。
9.基礎合奏: 対談 秋田市立山王中学校吹奏楽部元顧問・木内恒(下巻)
バジル・クリッツァー (著) , 木内恒 (その他)
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今巻は前巻に引き続き、秋田県の山王中学校吹奏楽部・元顧問であられる木内恒先生との対談を掲載している。
そして、その木内先生の作成による『基礎合奏はなぜ大切なのか?』という貴重で非常に価値ある資料を巻末に掲載している。
吹奏楽に限らず、そして部活動に限らず、『結果』を出すことで有名になったり評判になったりする指導者には二種類存在すると思う。
ひとつは、カリスマ性や統率力、あるいは支配力などによって集団をまとめ上げ、場合によっては追い込み、集中力や団結力を高めて集団としてのパフォーマンスを引き出す能力に長けているタイプの指導者だ。世間はこのタイプの指導者の『毒』には触れず、その華やかさや個性を好み、再現性や適用条件が定かではない訓示や型を有り難がり模倣しようとする。
もうひとつのタイプは、木内先生のように、より教育的な指導者だ。必要で有益なことを正しく適切的確に伝え、教えることができる。その結果として、集団の構成員ひとりひとりの力を伸ばすことができる。集団主義的ではなく、構成員ひとりひとりの内面と成長を重視する。集団の構成員を駒としてではなく人間として、生徒を弟子としてではなく人間として見る。
後者のタイプの指導者は、物事を観察し、検証しながら経験を積みやりざまを作り上げていく。そのため、その方法論は普遍的な有用性を帯びる。
残念ながら、そのように誠実な態度で思考し、生徒を本当に尊重しながら人間的に部活動の運営や吹奏楽指導に当たろうとする指導者の声の方が、吹奏楽指導の世界においては埋もれてしまいやすいだろう。しかし、必要なのはむしろそのような態度の指導者の方だ。これを読んでいるあなたもその一人、またはそうなることを望む指導者の一人だと思う。
あなたのその信念に共鳴し、あなたの背中を押す、そんな言葉と考え方がたくさん見つかる巻になったと思う。
ぜひお楽しみ頂きたい。
8.挫折: 対談 秋田市立山王中学校吹奏楽部元顧問・木内恒(上巻)
バジル・クリッツァー (著) , 木内恒 (その他)
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今巻は、秋田市立山王中学校の元教員で吹奏楽部の元顧問であられる木内恒先生との対談であり、その指導人生の歴史をご自身の挫折と学びを軸にして伺う。
具体的な指導内容については、次巻で詳しくお話頂くし、秘伝の資料もそこに掲載するので、その指導体系がどのような背景から生まれ形作られていったかというところをぜひ今巻で知って頂ければと思う。
山王中学といえば、学校吹奏楽に詳しい方ならば誰もが知る、超有名超伝統校だ。
しかし、木内先生の語るストーリーはサクセスストーリーではなく、挫折の物語だ。
全国大会への出場や、金賞の獲得といった『勝利』についての話はほとんど出てこない。それは指導内容や諸条件からくる結果に過ぎないからであろう。
ひとりの教員、指導者としての挫折と学びのストーリーをぜひお楽しみ頂ければと思う。
7.学び舎: 船橋市立船橋高校吹奏楽部顧問・高橋健一(下巻)
バジル・クリッツァー (著) , 高橋健一 (その他)
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電子書籍シリーズ『吹奏楽デモクラシー』第七巻では、前巻に引き続き千葉県船橋市立船橋高等学校吹奏楽顧問の高橋健一先生にお話を伺う。
対談においては、話は『自己責任』というものに及ぶ。ただし、これは自由主義経済的な意味合いや、時折日本で起きる浅薄なバッシングの合言葉としての自己責任ではない。部活動の状況や、生徒たちの上達や幸福の度合いを良い方に向ける責任はどこにあるか?それは部活動の顧問、指導者である。という意味での『自己責任』である。
その流れを汲んで、この巻はエッセイにおいても顧問や指導者が責任を負うべきことについて述べている。
ただし、責任という言葉の意味合いについても巻頭のここで整理しておきたいと思う。この巻で述べる顧問や指導者の責任というのは、決して重いものではない。もし重い印象を与えたとしたら、それは責任という言葉があまりにも重いものになっているからではないかと思う。
顧問や指導者の責任というのは、ごく単純だ。それは
『生徒を責めない、生徒のせいにしない』
『部活動をより楽しく充実したものにするために、自分にとって無理のない範囲でできる小さな工夫や努力をすること』
だ。この2つは裏表であろう。
もちろん、ここで対談する高橋健一先生がなさっている工夫や努力が尋常ではない。ある種の超人、天才のようなものだ。だから、高橋先生のような『レベル』に合わせようとするのではなく、基本方針や発想のような次元で、何か気付きがあれば十分だと思う。そうすれば高橋先生は可能性を見せてくれている存在として刺激をくれる、そんな人物に映るだろう。
渾身の対談とも言える。ぜひ楽しんでいただきたい。
6.師弟: 船橋市立船橋高校吹奏楽部顧問・高橋健一(上巻)
バジル・クリッツァー (著) , 高橋健一 (その他)
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電子書籍シリーズ『吹奏楽デモクラシー』第六巻となる今巻には、千葉県船橋市立船橋高等学校吹奏楽顧問の高橋健一先生にお話を伺う。
市立船橋高校吹奏楽部は、夏の吹奏楽コンクールにおいても全国大会への出場回数も数多く、激戦区千葉を代表する吹奏楽部の一つとして知られている。しかし、この吹奏楽部の「ファン」は何と言っても定期演奏会、および学生たち自ら作り上げる楽劇『吹劇』に魅力されてのものであろう。自主自律、自己決定、自己選択、自治といった価値観が非常に大切にされる部活動を行うこの吹奏楽部の在り方は、やはりそれを是とする顧問の存在、すなわち高橋健一先生のやり方に負うところが大きい。
わたしが高橋先生に出会ったのは2017 年、秋田県で行われた東北吹奏楽指導者講習会においてのことであった。わたしはこの講習会で公開レッスンを行っていたのだが、それを最前列に近い位置で聴講されていた。レッスン中、何度も大声で『まさに!』『うーむ!』『すごい!』と相槌を打ってくれて、それに勇気付けられあたかも歌舞伎の役者にでもなったかのような気持ちになったのはここだけの話である。(笑)
その前日の懇親会でお会いするやいなや、『You Tubeで見てた本物がいる!』と仰ったのだが、You Tubeでのわたしのレッスン映像をまさかご覧頂いていたとは驚きであった。いまよりそもそもYou Tubeの浸透の度合も少なく、更に登録者も視聴者も現在より少なかった私のYou Tubeをご覧になっていたあたり、この方のアンテナの広さ鋭さを物語るのではなかろうか。
高橋健一先生の情熱、個性、愛こそがこの方の核たる特徴だと私は感じている。それがこの本で伝われば幸甚である。
5.芽吹き: 対談 旭川商業高校吹奏楽部顧問・佐藤淳(下巻)
バジル・クリッツァー (著) , 佐藤淳 (その他)
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吹奏楽デモクラシーシリーズ第5巻の今巻は、シリーズタイトルたる「デモクラシー」に強く響く内容となった。
前巻からの続きとして掲載している旭川商業高校吹奏楽部顧問・佐藤淳先生との対談では、生徒の自治自律が根幹にある演奏と部活動の運営を是とする考え方が明確に語られる。
デモクラティックな吹奏楽とは、指揮者に服従する奏者、指導者に屈服させられる生徒という、残念ながらこの日本の吹奏楽において「典型的」といえる構図とは全く異なるものだ。
また、それは単一の学校の勝利を求めるのではなく、広く吹奏楽に携わる人々の活動の充足を希求するものでもある。
怒声、罵声、そしてときには暴力によって営まれてきた昭和的な吹奏楽の在り方を今巻は明確に否定し、吹奏楽に関わる全てのひとの幸せと自己実現を最重要視する価値観をはっきりと宣言するものである。
4.そこは雪国: 対談 旭川商業高校吹奏楽部顧問・佐藤淳(上巻)
バジル・クリッツァー (著), 佐藤淳 (その他)
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本巻は、シリーズ『吹奏楽デモクラシー』初の、現役吹奏楽部顧問の登場となった。しかも北海道を代表する指導者である、旭川商業高校吹奏楽部の佐藤淳氏だ。
佐藤氏は、汗・涙・血と努力の昭和の時代からデジタルワールド化しつつある令和の現在まで吹奏楽指導に従事、奔走してきている。
その指導活動は勤務校における吹奏楽コンクールでの数多くの優れた結果や旭川商業高校吹奏楽部の日本全国をまたにかけた演奏活動でも知られているが、旭川から札幌や釧路、網走など北海道の隅々に電車や車で出向いていって数多くの学校吹奏楽部を指導・サポートしておられるところこそが、本シリーズで対談をお願いした所以である。
本巻では主に旭川商業高校に赴任するまでの佐藤氏の音楽人生と指導生活の前半期について話を伺った。ここからはひとりの青年の瑞々しい感性と、もがき苦しむ自己形成の物語が浮かび上がる。
自身の経験、失敗、感情を包み隠さず総括し語ること。それをしてくれる有名指導者のお話は本シリーズから吹奏楽指導のヒントや教訓を学び取ろうとする読者にとっては、願ってもない材料となるのではないだろうか。
また、書き下ろしエッセイでは呼吸そして指導法についても具体的な内容を述べている。場面限定的なノウハウではなく、発想の基本を提供しようとしたものである。ぜひ役立てて頂きたい。
3.もやもや: 対談 テューバ奏者・石川佳秀
バジル・クリッツァー (著), 石川佳秀 (その他)
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もやもや。
これはもしかしたら、青少年期には誰にでもあるごくありふれたことかもしれない。
しかし、それが何年も、ときには10年も続くことがあるとは、誰かと話していて話題になったことはないし、テレビでそんなことが語られることも聞いた記憶がない。
でも、嫌になるほど、あるいは自分でも恥ずかしくなるほど長期間続いて如何ともしがたいままもやもやした時間が何年も月日が重ねられていくことも、実は非常にありふれているのではないか、とわたしは思う。
この巻では、テューバ奏者で吹奏楽指導者の石川佳秀さんがご自身のもやもやとそこから抜け出す旅路を包み隠さずお話下さっている。わたしも若いときもやもやに苦しんだので、同じように苦しみ、かつ長い時間を経てそれでも抜け出して立派に人生を紡ぐことができている人と対話できてとても嬉しい気持ちになった。
人はもやもやするものだ。これを、『成長につながる苦しみ』と安易に美化するのは良くないと感じる。美化は放置の正当化につながる。必要なのは、助けや支えだ。気合が足りない、勇気が足りない、自信が足りない、努力が足りない、我慢が足りない。そうやって断じるのも助けや支えを申し出ないことを正当化しているだけだ。
もやもやについて、ぜひ語り合おう。
2.生徒第一主義: 対談 吹奏楽指導者・山﨑朋生(下巻)
バジル・クリッツァー (著), 山﨑朋生 (その他)
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『吹奏楽デモクラシー』シリーズ2作目の今巻は、「生徒第一主義」と題した。
これは、日本吹奏楽界の宿痾ともいえる「吹奏楽コンクール第一主義」あるいは「勝利至上主義」と対照的なものといえる。しかし、生徒第一主義はコンクールへの出場や代表あるいは金賞の獲得ということと対極の関係でもトレードオフの関係でもない。
前巻に引き続き対談してお話を伺った吹奏楽指導者・山﨑朋生氏は、事実いくつもの全国出場有名吹奏楽部の指導に長年携わっておられる。
生徒第一主義とは、
・生徒ひとりひとりの成長
・生徒ひとりひとりの上達
・生徒ひとりひとりの自己実現
を助け、促し、それに貢献することを指導者としての使命とし評価軸とすることである。
したがって、生徒第一主義は、自然とコンクールの結果にもポジティブに作用しうるのだ。・・・生徒ひとりひとりに我慢や犠牲を強いて指導者の思い描く音楽を強権的かつ人工的に作り込んでいく方式で結果を出すことに依存していなければ。
集団の達成のために、音楽を愛する子供や愛好家が屈服させられることは、良くないことだ。その至極当たり前をただ述べるだけの今巻とも言える。
ただし、これは批判を目的とはしていない。
生徒第一主義を実践したい方々のための書である。
1.良き模範: 対談 吹奏楽指導者・山﨑朋生(上巻)
バジル・クリッツァー (著), 山﨑朋生 (その他)
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このシリーズの記念すべき最初の本では、吹奏楽指導者でトロンボーン奏者の山﨑朋生氏に話を聞いた。
氏とは、アレクサンダーテクニークの学習の場で出会ったのであるが、トロンボーン奏者としての端正で正統的な演奏とともに、関東のいくつもの超有名吹奏楽部で指導者やコーチを務めているにも関わらず、『金賞以外は無価値。なんならプロの演奏より全国吹奏楽コンクールの勝者の演奏の方が良いと思っている感』を醸し出す『吹奏楽関係者』の印象(わたしの偏見であるが)をまったく感じさせないところにとても興味を持ったのを良く覚えている。
数年に及ぶ付き合いのなかで、山﨑氏が学生や吹奏楽部の顧問の先生方に非常に信頼され愛されていることも分かってきたし、対談でも出てくる話だが、吹奏楽部の活動において本当に必要とされるニーズに丁寧に応え活動をサポートされている様子を見るにつけて、大きな感銘を受けていた。
生徒は指揮者や指導者の駒ではないー。
コンクールの結果より音楽の楽しさや素晴らしさを実感する方が大切だー。
このような、当たり前のことすらバカにされることもある学校吹奏楽界には歪みがあるのは確かだが、一方でこの当たり前に共感し実践しようとする教員、指導者も数多い。
この本がそういう方々の助けになることを願う。
シリーズ「吹奏楽デモクラシー」