ワールド・プロジェクト・ジャパン  〜 合奏音楽のための国際教育プロダクション 〜


ジョニー野村さんの思い出

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ゴダイゴのプロデューサーとして著名なジョニー野村氏が逝去された。ゴダイゴの大ヒット曲「モンキー・マジック」の歌詞にある

He knew every magic trick under the sun.

とは、氏のことと思えるほど、あらゆる「魔法」を使いこなした方だった。

その影響は多方面に及ぶ。私自身も、少なくとも5つのルートでジョニーさんと関わりをもっていた。

1.HISOルート
私が所属していた早稲田大学High Society Orchestraが、ジョニーさんのプロデュースされたBARというジャズボーカルグループのバックバンドを担当した。

2.World Projectsルート
私が代表を務めるワールド・プロジェクト・ジャパンのカリフォルニア本社は、日本進出の第一歩としてジョニーさんの会社ジェニカ・ミュージックに間借りしていた。

3.SMASHルート
私が1990〜2001年の期間プロデュースを担当した「モントレー・ジャズ・フェスティバル・イン能登」のビザ関連業務をSMASHさんにお手伝いいただいた。SMASH代表でありフジロック創始者の日高正博氏もジェニカに在籍されていたそうだ。能登のフェスティバルにおいて、Maynard Fergusonのクリニックではジョニーさんに通訳をお願いした。

4.MMSルート
ジョニーさんは国際基督教大学(ICU)のビッグバンドModern Music Society(MMS)出身。たしか三木敏悟さんと同期のはず。当社(ワールド・プロジェクト・ジャパン)はMMSとの関わりが深く、過去6回のアメリカ公演の手配をさせていただいた。

5.JJazz.Netルート
私は2001〜2003年頃、インターネット放送局JJazz.Netの仕事に携わり、東京ディズニーリゾートでのジャズフェス「Magic Jazz Town / IKSPIARI2002」の制作を担当した。JJazz.Netには外山和彦、宮浦清、宮澤裕行、細川桃子、石井真ほか、多くの「ジョニー野村ファミリー」が参加していた。※敬称略

まったくの個人的な印象とお断りしておくが、私は坂本龍馬はジョニーさんのような人物だったのではないかと考えている。

ずば抜けた行動力、コミュニケーション力、頭の回転の速さ、人たらし的なチャーミングさ。火の玉のような熱量と冷静な判断力が同居する超人だった。

スーパーマンが安らかに眠ることなどない。銀河鉄道999のように、きっと

A never ending journey to the stars

へと旅立って、宇宙を舞台にしたプロジェクトに奔走しておられるはずだ。

夜空を見上げるたび、ジョニーさんを偲ぼう。

2021年1月

投稿者 kurosaka : 2021年1月26日