身体と奏法
2009年2月7日(土)のタングマジック東京講習会に
おいて、レベルの高い質問が出ました。それは
「TMの呼吸トレーニングをどのように実際の演奏
に結びつけていけばいいのでしょうか」
というものです。
これについて二つのお話をさせていただきます。
<一つ目のお話>
上記の質問に対する一つの回答は「特に結びつける
必要はない」というものです。
TMでやる身体開発法や呼吸法(これをウォーター・
トレーニングといいます。以下WT)は、現代社会の
生活で身に付いた「体表面を固める運動習慣」を解
きほぐすためのものです。
したがってWTを繰り返すことで外柔芯剛の身体を実
感すれば、おのずと楽器練習にもよい効果が出てく
るという考えをベースにしています。
グラフ「A 正比例」をご覧ください。
x軸がWTなどの「一般的」「本質的」基礎トレーニ
ング。y軸が楽器演奏など「具体的」「専門的」技
術トレーニングです。
x軸方向の練習とy軸方向の練習を同時に進めること
で、右斜め上45度(グラフ中矢印の方向)に上達し
ていくことを期待するわけです。
【参考1】総練習の50%を脱力にあてる
【参考2】ドラムと呼吸法
江戸時代の剣術家が、剣術の技術向上のために参禅
したという話はよく知られています。座禅で強くな
るというわけです。
【参考3】セロトニンと運動能力
また現代においても、打楽器奏者が空手を、ピアノ
奏者がカンフーを学ぶことで、楽器の技術向上に役
立てている例があります。
【参考4】「水の身体」の音楽家たち
楽器演奏とは一見関係ないようなトレーニングが、
じつは別の角度から演奏にふさわしい身体を作る練
習になっている。よい農家が土作りから始めるよう
なイメージかもしれません。
【参考5】草
しかしながら、練習の初期段階ではしばしば逆のこ
とが起こります。「グラフB 反比例」のような現象
です。
たとえばx軸を体表面の脱力、y軸を楽器の吹奏とし
ましょう。すると「脱力すればうまく吹けない」し
「吹こうとすると力が入る」という二律背反に陥っ
てしまうわけです。
TM講習会においても、WTによって外柔芯剛の準備
をしても、楽器を構えるとすぐに姿勢が変わるとか
力むというケースはたくさん見られます。
これに対して、原則的には一つ目のお話で示したよ
うに「特に両者を結びつける必要はない」というの
がTMのスタンスです。
頭で考えて結びつけるのではなく、身体が教えてく
れる。xy両軸方向の練習をすることで、ある段階か
らWTが自動的に技術力向上へ寄与する、ということ
です。
座禅においては「只管打座(しかんたざ)=ただひ
たすら座禅しなさい」と教えるとか。ここでもなぜ
座るのかという説明はしません。ただ座りなさいと
指導されるとのこと。
でも、このアプローチは現代人には厳しすぎるとい
う意見もあります。なぜこの練習をするのか、理屈
がわかったうえで取り組むべきと考える人もたくさ
んあります。
たとえばヨーガの本を書く場合、このポーズはダイ
エットに効くとか、このポーズは便秘が治るという
ような「効能」を書かないと売れないそうです。
いうまでもなく、ヨーガのポーズ(アーサナ)は、
そのような対症療法的な発想で考案されたものでは
なく、それらをコツコツと練習することで最終的に
身体のバランスが整うことを意図しています。
症状を抑えることを優先する西洋医学に対して、身
体全体の調子を整えることを考える東洋医学の発想
に、ヨーガは(WTも)近いかもしれません。
【参考6】修理工でなく庭師に
けれども、現代人は対症療法的発想に慣れているた
め、「B 反比例」のような現象に対しては、言葉に
よるきめ細かなフォローが必要であろうということ
も理解できます。
これについては今後の課題として、TM講習会の中で
さまざまなアプローチを試みることにします。
***
【参考1】総練習の50%を脱力にあてる
<ゆるむことの効果>
鹿児島県に国立鹿屋(かのや)体育大学という
学校があります。この女子バスケットボール部
は、体系的な「脱力」トレーニングを取り入れ
てめざましい成果をあげています。
1999年までは、全国ベスト16の壁をどうしても
破れなかったそうです。そこで、ゆる体操を中
心とした脱力トレーニングを導入。
成果は翌年からすぐにあらわれました。
2000年 6位(全日本学生選手権)
2003年 4位
2004年 3位
そして、2005年4月の日本女子学生選抜バスケット
ボール大会では優勝してしまったのです。
<総練習量の50%が脱力トレーニング>
ウエイトトレーニングをまったくやらず、ひたす
ら身体をゆるめ続ける練習を繰り返した成果です。
このバスケ部の練習は、1日に3時間。そのうちの
半分(1.5時間)を脱力トレーニングにあて、残り
の1.5時間をバスケットボールの練習にあてるそう
です。
総練習量の50%をゆるむことに使う。この大胆な
時間配分は、トレーニングのあり方についてさま
ざまな示唆を与えてくれます。
楽器練習にもこの方法は使えそうです♪
***
【参考2】ドラムと呼吸法
ウォーター&ブレス〜音楽家のための呼吸法〜に
対してドラム奏者からご質問をいただきました。
最近ご自分のプレイに限界を感じてきて、呼吸法を
勉強しようかと思っておられるとのこと。質問内容
は以下の三点でした。
1.呼吸法を身に付けると演奏者としてどのような形
で効果が現れるのか
2.演奏する上でどういったメリットがあるのか
3.どのようなトレーニングが必要となるのか
このご質問に対して、私(水行末)は以下のような
回答させていただきました。
呼吸法というと「空気の出し入れの技術」と考える
方が多いのですが、私は呼吸法を「体幹部開発のト
レーニング」としてとらえています。
現代人の圧倒的多数は、体幹部(胴体のことです)
を箱のように固めて使っています。手先、足先だけ
で動作をする習慣がついているのです。
しかしながらすぐれた音楽家は四肢(手腕と足脚)
だけでなく、体幹部を柔軟に使って演奏していると
考えられます。腕から力を生むのではなく、体幹部
で発生した力を腕に伝えるような動きです。
(参考文献:「究極の身体」高岡英夫著)
この「体幹主導の運動」を身につけるためには、カ
チカチに固まっている体幹部をほぐし、内蔵や筋肉
を少しでも自由に動かせることが必要です。その第
一歩として、背骨を柔らかく動かす練習をするのです。
<なぜ呼吸法をやるか>
たとえばヨロイを着てドラムを叩くことを想像して
ください。ヨロイが頑丈なものであるほど、ドラム
は叩きにくくありませんか? 現代人は、体幹部に
「固めた筋肉」というヨロイを着込んでいるような
ものです。このヨロイを脱ぐための練習が呼吸法で
す。
したがって、身軽に演奏できることが演奏上のメ
リットだといえるでしょう(質問2への回答)。
> 演奏者としてどのような形で効果が現れるのか
という問いには、身体の中心でリズムをとることが
でき、よりシャープなタイム感を身につけられる。
絶妙のタイミングで迫力あるサウンドを生み出すた
めの、身体コントロール法の基礎を養成する、とい
えます。
> どのようなトレーニングが必要となるのか
より基礎的なトレーニングとしては、「ウォーター
&ブレス」の、特にウォーター・トレーニングが役
に立つと思います。それに慣れてきたら、ブレス・
トレーニングに進まれるとよいでしょう。
そこで築いた基礎を応用して楽器演奏をするために
は、「黒人リズム感の秘密」に載っている練習がヒ
ントになると思います。
ここでも、やはり背骨を使ってリズムをとる方法が
重視されています。そのためには、ヨロイを脱ぐこ
とが前提になります。
ここまでが第一段階です。さらに繊細な呼吸法を練
習することで、音楽表現上の微妙なニュアンスを呼
吸で描き分けたり、聴衆の意識に入り込んだりでき
ることがわかっています。
それについては、いずれまた。
***
【参考3】セロトニンと運動能力
<寿限無老師と水行末の対談>
寿:セロトニン神経は筋肉に対して「活」を入れ
るような働きをするニャ。運動神経に働きか
けて、それを「元気」の状態にする薬理効果
を持つのじゃ。
水:では、座禅をすると運動神経がよくなる?
寿:にわかには信じられないじゃろうが、そうい
うことになるニャ。
水:これは驚きですね。
寿:座禅の呼吸法によってセロトニン神経を鍛え
ると、その効能として運動神経が活性化。そ
して瞬発的な筋力を増強するのじゃ。
水:日本では古くから武士道と座禅が不可分の関
係にありました。「剣禅一如」という言葉が
あります。西洋人の書いた「弓と禅」という
名著もあります。
寿:それらは精神修養という意味もあったじゃろ
うが、剣や弓の技術向上という実利的な側面
でも効果があったと考えられるんじゃ。
水:どうしてそんなことが起きるのですか?
寿:セロトニン神経が活性化すると、それまでは
バラバラだった身体のパーツを「統一する感
覚」が生まれる。
水:統一ですか?
寿:それは脳幹にあるセロトニン神経が、脊髄の
あらゆるレベルの運動ニューロンに投射して
影響をを及ぼすからじゃ。一握りの神経が全
身の筋肉へ指令を与えるので、統一が意識さ
れるのじゃろう。
水:なるほど。
寿:また、セロトニン神経は、体幹部の抗重力筋
の緊張を増強させることも分かっておる。
水:体幹部とは胴体の部分ですね。
寿:その通り。そして、抗重力筋は文字通り重力
に抵抗して直立するための筋肉群じゃ。
水:すると、どうなるんですか?
寿:座禅を毎日実践すると、腹筋、腸腰筋、脚の
内側の筋肉などの抗重力筋、すなわち直立す
るための筋肉群に強い締まりがあらわれてく
るんじゃ。
水:すると、座ってばかりいながら、立つのが上
手になるということですか?
寿:まあ、そのようにも言えるニャ。
水:だから江戸時代の剣豪が座禅で強くなったと
いうような逸話がたくさんあるんですね。
寿:そうじゃニャ。立つことが巧くなれば、剣を
扱う技術にもよい影響があるじゃろうし。
水:座禅を「立った姿勢で」やってはいけないん
ですか?
寿:もちろん結構じゃよ。実際、「立禅」という
稽古を重視する武術もあるぞよ。
水:呼吸法は、空気を出し入れするだけではない
んですね。
寿:ガス交換、内蔵マッサージ、血液循環、筋肉
の活性化、脳・神経系への影響、心理的効果、
免疫力アップ、人間性の向上など、多くの視
点から呼吸について語ることができるニャ。
※参考文献:東邦大学医学部・有田秀穂教授の研究
***
【参考4】「水の身体」の音楽家たち
<音楽と武術>
最近、朝日新聞に以下のような記事が載りました。
いずれも音楽家が武道・武術の身体操法を参考にす
るという話です。
2005年10月7日 夕刊
加藤訓子(打楽器奏者)
空手道場に学び「総身水袋(そうしんすいた
い)」という言葉にヒントを得た。全身を水
袋のように感じ、身体の重心を探す。瞬時に、
どのようにでも反応できる運動能力と集中力
を養う。
2005年10月22日 Be
上原ひろみ(ピアニスト)
ブルース・リーの説く「カンフーは水だ」と
いう言葉に、ジャズの即興性や集中力との共
通点を見い出している。
水はどんな風にも形を変化させる。だから、
いつも柔軟でなければいけない。
両方の記事に共通するのは「水」です。身体を水の
ように使うことを学んでいる。
私のいう「ウォーター&ブレス〜音楽家のための呼
吸法〜」はまさにこれを専門的に練習するものです。
まだ先駆的なアーティストの間に限られているとは
いえ、少しずつこの種のトレーニングが注目され始
めたようです。
***
【参考5】草
<草を見ずして草をとる>
こんな言葉があります。
下農は草を見て草をとらず
中農は草を見て草をとり
上農は草を見ずして草をとる
下農とは勤勉でないお百姓さん。なまけて草をとろ
うとしない。中農とはふつうのお百姓さん。畑に生
えた草を見ると、草むしりをします。上農はすぐれ
たお百姓さんです。草が生える少し前に、土をかい
て草が生えないようにするんですね。
草を「問題」に置き換えれば、一般のビジネスにも
言えそうです。能力の低いビジネスマンは問題が起
きてからも解決しようとしない。ふつうのビジネス
マンは問題が起きてから対処する。しかし優秀なビ
ジネスマンは、問題が起きないようにくふうする。
<土をつくる>
こんな言葉もあるそうです。
下農は雑草をつくり
中農は作物をつくり
上農は土をつくる
たとえば楽器のトレーニングにおいては、なにが雑
草で、なにが作物で、なにが土にあたるか。
いろんな例えができそうですね◎
***
【参考6】修理工でなく庭師に
<補完代替医療>
CAM Complementary & Alternative Medicine(補完
代替医療)は、現代医学以外のあらゆる治療法や健
康法の総称。
それは治療の方法が異なるのではなく、その前提と
なる疾病観や健康観、ひいては自然観、生命観、死
生観そのものが大きく異なっているようです。
これを、
●現代医学の医師:
人体という機械の故障を修理する専門技術者
●CAMの医師:
人間という庭を美しく整備する庭師
と例えて、「修理工ではなく庭師になろう」と心が
けるのがCAMなのだとか。
「庭」の管理人は私たちひとりひとりであり、庭師
(である医師)の仕事は、
1.管理人(=患者)に日々の庭仕事の
方法を指南すること
2.荒れてしまった庭に対して、専門的な
見地から助言や助力をすること
であるといいます。
現代医学が得意とする「標準化・画一化・普遍化」
ではなく、「多様性・個別性・一回性」を追求
するのがCAMであるとか。
欧米では、CAMが医学校の正式な課目となっていた
り、病院やクリニックでなんらかのCAMを導入する
ケースも珍しくなくなっています。日本でも、CAM
が医科大学に広まり始めているようです。
※参考文献:「補完代替医療入門」上野圭一
投稿者 kurosaka : 2009年2月 8日