口中調味の論点整理
1.プロンプト
2.ChatGPTによるまとめ
3.論点を整理する
4.液体になるまで噛め
あまり好きな語感ではないが、口中調味(あるいは口内調味)という言葉がある。
これを肯定的な意味で使う人がいれば、否定的に捉える意見もある。そもそも何を口中調味と呼ぶかという定義にもかなりの幅がある。
そこでネットで集めた相当量の情報をChatGPTに与えて、論点を整理してもらった。
ネットで見つけた口中調味に関する投稿をいくつか示し、以下のようなプロンプトをChatGPTに与えた。
「口中調味(もしくは口内調味)という言葉があります。肯定的な意見も否定的な意見もあります。またこの語は人によって定義が異なるようです。以下にいくつかの意見を複数に分割して渡しますので、その論点を整理してください。私が「整理してください」というまでは、作業を始めないでください。代わりに「次の入力を待っています」とだけ出力してください。わかりましたか? 」
口中調味(こうちゅうちょうみ)と口内調味(こうないちょうみ)は、噛むことで生まれる味の変化を口の中で楽しむ食べ方を指す言葉ですが、厳密な定義の違いは明確にはありません。一部の文献や記事では、口中調味を噛み砕いた食材の味わいが広がることに焦点を当て、口内調味を唾液や口の中の調味汁によって味付けが行われることに焦点を当てて使い分けることもありますが、一般的にはほぼ同じ意味で使用されます。
以下に口中調味(口内調味)に関する肯定的な意見と否定的な意見、それぞれの論点をまとめます。
肯定的な意見の論点:
健康的な食事法: 口中調味を行うことで、噛む回数が増え、唾液の分泌が増えるため、消化や吸収を助ける効果があるとされる。
味わいの楽しみ: 口中調味は食事そのものを楽しむことができる食べ方であり、噛むことで食材の味わいが広がる。
日本食の特徴: 口中調味は和食文化の一環であり、一汁三菜のスタイルに合っているとされる。
食べ過ぎ防止: 口中調味を行うことで脳の満腹中枢が刺激され、食べ過ぎや塩分摂取過多を防ぐことができる。
否定的な意見の論点:
非効率的な食事法: 口中調味は時間をかけて食事を進めるため、忙しい現代社会には合わないとされる。
食材の混合が好ましくない: 一度に複数の食材を一緒に口に入れることで、食材の個々の味わいや特徴が失われる可能性がある。
食事の楽しみが偏る: 口中調味に特化することで、食事の他の要素やバリエーションが制限される可能性があり、食事の楽しみが偏るという意見があります。
文化の違いや受け入れの難しさ: 口中調味は日本独自の食事文化であり、他の国や文化においては受け入れにくい場合があると指摘されています。
個人の好みや体調への影響: 口中調味がすべての人にとって適切であるとは限らず、個人の好みや体調によっては好ましくない場合もあります。
これらの肯定的な意見と否定的な意見には個人の好みや文化の違いなどによる主観的な要素が含まれます。口中調味に関する評価は人それぞれであり、それぞれの食事スタイルや環境に合うかどうかは個人の判断に委ねられます。
ここから中村天風の「液体になるまで噛め」という話へ展開するのだけれども、それはまた次の機会に。
口中調味(口内調味)についてChatCPTを使って論点を整理してもらった。基礎的な情報は得られたもののまだスッキリしないので、あらためて3つの軸で論点を整理してみた。
A: 混合度:多味か単味か
B: 継食度:継ぎ足し食べするかしないか
C: 咀嚼度:多咀嚼か少咀嚼か
Aの混合度については、出された複数の料理を口の中で混ぜるか混ぜないかである。調味は料理人がするものであり、食事する者はそれを忠実にいただくべきであると考えれば、混合はしないほうがよいことになる。
一方、食事する人が自由に味わうべきであり、何と何をどう混ぜても構わないという考えも当然ある。日本で飯、汁、おかずを順に口へ入れる「三角食べ」が推奨されるのも、この分類にある。
Bについては、食べ物が入っている時に口を開けてはいけないという文化的タブーがある社会では「継食度ゼロ」を理想とする。白飯を口に含んで咀嚼しながらおかずを入れて味をつけながら食べる文化では、「継食度100%」が前提だろう。
刺身+醤油、焼きなす+田楽味噌など、料理と調味料を一緒に食べる方法を口中調味とする考えもある。これだとパン+バター、サラダ+ドレッシング、肉+ソースも口中調味となるが、継食度ゼロは維持できる。ただ、これらの組み合わせは口中調味ではないとする意見もある。
Cは噛む回数が多いほうがいいか少ないほうがいいか、である。噛むほどに感じる味の変化を楽しむのは、作る側ではなく食べる側に主導権があると言える。作り手の調味を尊重するという考えなら、味が変わるほど多く噛むのは避けたいという主張もあり得るだろう。
これらの論点が錯綜することで議論はまったくすれ違う。さらに、味覚、作法、健康、食文化のどこに着目するかによっても異なる主張がなされるだろう。
そして中村天風の「液体になるまで噛め」というアドバイスは、C:咀嚼度についての話だと理解できる。
ようやく中村天風の「液体になるまで噛め」にたどり着いた(笑)
横綱双葉山の70連勝を止めたのは安藝ノ海、1939年(昭和14年)1月場所のことである。しかしその前年である1938年(昭和13年)6月、双葉山は九州山という力士に敗れている。
戦前の大相撲は年2回の本場所があり、大阪や名古屋では「準場所」を開催していた。69連勝は本場所のみを計算した公式記録だが、準場所での勝利も含めた非公式記録では双葉山は87連勝しているのだ。88勝めを阻止したのが九州山である。
その九州山には、慢性胃腸カタルで何も食べられない時期があった。歩くこともできず、1週間も食べることも飲むことも出来なくなり、医師からは「もし治ったとしても相撲は一生取れないだろう」と言われた。
そんな九州山に中村天風がアドバイスを与えた。
【天】関取、さあこれを噛むんだ。
と天風はタクアンを出した。
【九】そんなもの食べられません。
【天】誰が食べろと言った。噛め、と言ったんだ。飲み込めないんなら飲み込まなくてよろしい。これを噛め。噛むんだ。
言われた九州山は、実際に噛んでみた。
【九】飲み込んじゃいけませんか?
【天】いけませんかって、飲み込めねえんじゃねえか、おめえ?
【九】なんだか飲み込めそうです。
【天】だめだ。まだいけない。噛め。
【九】まだいけませんか?
【天】まだだめ。
しばらくして
【天】もうよかろう。飲み込め
【九】もうありません。
【天】それが本当なんだよ。今まで吐いていた食べ物でも、唾を大部分にして飲み込まれた食べ物は吐かねえから安心しな。
そして天風宅に泊まり込み、アドバイス通りに実行したところ、3週間後には四股を踏むようになったとか。 やがて双葉山の連勝に土をつけるまでの回復を見せる。
あれが悪いこれが悪いと気にするより、その食べ物の中にある栄養をことごとく、自分の手足の末端まで恵みとして受けとる。感謝しながらよく噛んでいただく。するとどんどん唾が出てくる。
よく噛んで食べると、少量の食事でも多くの栄養分を受け入れることができる。これが中村天風の「液体になるまで噛め」というエピソードである。天風がインドでヨガ修行をしている頃、現地の修行者たちは水も噛んで飲んでいたそうだ。
先の投稿で口中調味の論点を3つに整理した。
A: 混合度:多味か単味か
B: 継食度:継ぎ足し食べするかしないか
C: 咀嚼度:多咀嚼か少咀嚼か
言うまでもなく、中村天風のアドバイスは「C: 咀嚼度」に関するものだ。そしてこれだけ噛めば「混合」することも「継食」することも不可能だろう。口中調味の議論を根底から覆してしまうようなエピソードである。
投稿者 kurosaka : 2024年5月28日